「ガラスの海を渡る舟」寺地はるな著 泣きます。

人は何でも分類してしまいがちです。ラベリングして、カテゴライズして、人や物を自分の扱いやすい枠にはめ込んでしまう。私もやってるなあ、と、この本を読んで大いに反省しました。

著者は兄・道を発達障害と明確には書いていません。でも思考パターン・行動パターンはあきらかな「それ」です。そして妹の羽衣子はそんな兄に敵愾心や嫌悪感をむき出しにしています。

そういう兄妹がぶつかり合いながらガラス工房ショップを運営していく姿。これが泣けるんですねえ。

舞台は大阪。空堀通りは去年の秋に私が訪れたところなので、妙な親近感を覚えながら読了しました。

《いわゆる障害を持つ人は、代わりに特別な才能を持っている》という考え方。それ自体が傲慢な差別である、と物語中の登場人物が語っているシーンには、大きくうなずきながら猛省しました。

《人は誰かを啓蒙するために死ぬのではない》 コロナで亡くなられた有名人の死を特別扱いしてプロパガンダに利用する。そんな風潮に著者は釘を刺しています。

まだまだ人間ができていない私は、主人公・道が発達障害という前提でしか説明できないのですが(単に私が無能だからです)この障害を持っていらっしゃる方がマイノリティーだから、世の中で生きていくのに理解されにくい、という現状はよく分かります。でも実際のところ、空気を読む、とか、人の顔色を見る、とかは、得意・不得意とも言えるのではないかと思います。

私自身は率直にものを言いすぎるきらいがあり、アスペルガーにあてはまるのでは、と自己分析することもあります。要は学習するかどうかで、兄・道も自身の傾向を相手にきちんと説明し、ファジーな表現ではなくリアルな言葉での会話を求めています。

誤解を生まないためには、きちんと声に出して自分の言葉で話さなければ。

電車の中で大部分の人がスマホの画面に見入っている様子に、コロナで会話を控えるように言われているとは言え、せめて本を読んでほしいなあ、と通勤中にアンニュイになってしまいました。

ガラスの海を渡る舟 電車の中では涙ぐむかもしれませんので、お気をつけください。