サヴァン症候群ってご存知ですか? 精神に重度の障害を持ちながら、ある特定分野で驚異的な能力を発揮するシンドロームのことです。ハルモニアでは、能面のように感情を表さない(でも美少女!)が、天才的な音楽の才能を見せ、さらにホラー的な要素ものぞかせる、篠田ワールド全開の小説です。
韓国の作家、ソン・ウォンピョンによる「アーモンド」は偏桃体が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができない主人公・ユンジェの成長(?)物語。昨年の7月に出版された、比較的最近の話題作です。
また、遠藤周作氏の「海と毒薬」では、第二次世界大戦中、捕虜を使って人体実験が行われた黒歴史の片りんが扱われています。現在、脳内物質の異常な分泌あるいは欠乏により、様々な精神障害(例えば鬱とか躁とか)が起きることが分かっており、それらに作用する薬物で、治療が行われています。この薬効に関する研究は、大戦中の人体実験が大きく貢献しているとも言われているのです。ナチスのユダヤ人迫害でも、統合失調症(当時は精神分裂病)患者の脳を解剖するなど、人権的見地からすれば、ありえない実験が、現代精神医学の発展に寄与していると考えると、コメントがしづらいですが。。。
小説と脳をいじくる話から離れて、魂の神秘に触れた立花隆氏の大作、「脳死」と「臨死体験」
「脳死」では、何をもって《人の死》とみなすか。臓器移植を行うにあたって、脳の働きが止まったことを判断できる正しい基準はあるのか。脳死と植物状態の違いは何か。と言った、立花氏らしい論理的な話が繰り広げられています。
その話を物語で味わうなら、東野圭吾氏の「人魚の眠る家」がおすすめです。
立花氏の大作に戻ると、この「臨死体験」、科学者は科学で説明のつかないことは、裏付けが確固としたものになるまで、奇跡などという概念は認めない、という姿勢が色濃く出ています。
私は父の死に当り、しばらく(大体四十九日あたりまで)父の気配を感じていました。それを気持ち悪いとか、うさんくさいとかいう人も、中にはいらっしゃるでしょうが、私は科学的なものの考え方には、時に懐疑的になります。科学の歴史はたかだか100年。人間の歴史はその何千倍かそれ以上ですから、《目に見えて、きちんと証明ができる》ものだけを信じるというのは、あまりに料簡が狭いのではないかと。確かに”祈祷で病気を治す”とかは眉唾だと感じますけれど。でも100%だめかと言われると、そうも言いきれない分野があるような気もしています。
人は死んだらどうなるか。死の恐怖は克服できるか。知識欲、好奇心は尽きません。