塩田武士氏のリアリティ

罪の声 塩田武士著

「罪の声」の文庫本がブックオフで最低価格になっているのをみつけて、迷わず買ってしまいました。この「週刊文春ミステリーベスト10」で堂々第1位に選ばれた衝撃の傑作が110円。次の日、書店で文庫本の新刊コーナーに平積みされている同書を見て、価格破壊という言葉が頭をよぎりました。母は我慢のきかない性格で、欲しいと思ったら定価でも買ってしまうのですが、私は緊急性のないものは、値段が下がるまでひたすら待つという、辛抱強さを持ち合わせています。親子なのに、どうしてこうも違うのか。

さて、グリコ・森永事件を根底に、圧倒的なリアリティを追求して書かれた「罪の声」。京都でテーラーを営む曽我俊也が、自分の幼少時代の声が吹き込まれたテープを見つけるところから始まります。事件名は「ギン萬事件」と変えられていますが、あのキツネ目の手配書の男で当時、世間を震撼させた、現代にいたるまで未解決になっている脅迫事件がモデルです。

塩田氏は元新聞記者という立場から、もう一人の主人公・大日新聞記者の阿久津英士に、まるで実在する人物であるかのような存在感を与え、記者魂の根本までつまびらかに描いています。

著者が最後に記していますが、この事件は子供を巻き込んだものであり、その罪は深く重いものです。かの事件を知らない世代でも、十分読み応えのある、重厚な作品。表紙の絵のおどろおどろしさが読後、せつなさに変わります。

歪んだ波紋 塩田武士著

一方、「歪んだ波紋」は”社会派作家”と称される塩田氏の真骨頂。新聞が誤報を伝える、ネットが虚報を伝える。そのオソロシイ影響力を想像すると、背筋に悪寒が走ります。これは全くのフィクションなのか、それとも既に似たようなことが起きているのか?

かなり前ですが、ベルリン在住の芥川賞作家・多和田葉子さんが朝日新聞に寄せていた文章で、戦慄したことがあります。

多和田さんがタクシーを利用した時、ドライバーの若いドイツ人が、日本の原爆も東日本大震災の福島原発事故もフェイクニュースだったんですね、というようなことを言った、という内容です。彼のニュースソースはネットで、曰く「信頼できるサイトです」。そんな事実無根があっさりとまかり通っている現代に、多和田さんは唖然としながらも、皮肉で応戦したのですが、通じていたのかどうか。

「歪んだ波紋」の帯に”騙されるな、真実を疑え”とあるのですが、世の中、何を信じれば良いのか、疑心暗鬼になってしまいます。

活字が苦手な方には、罪の声は映画(小栗旬、星野源主演)、歪んだ波紋はNHKのドラマ(BSプレミアム、松田龍平主演)で楽しむこともできます。原作が面白いのですから、映像もきっと感動的な、あるいは沈思黙考させる、素晴らしい作品になっていることでしょう。すみません。両方見ていません。無責任でごめんなさい。