スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む

法律や規則について、日本人は「とにかく従う」としたら、スウェーデン人は「それ自体が正しいか妥当かを考える」のだそうです。

《お上は絶対正しい》東大出のエリート集団が考えたことだからと、頭から信じ込んでいるのが日本人で、スウェーデンでは《法律や規則は変わる》というのが基本通念なのだとか。

この「スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む」という本。スウェーデンの小学校社会科の教科書がどんなものかということを、鈴木賢志教授がゼミ生と共に訳しながら、その内容を考察しています。

全く堅苦しくなく、とてもわかりやすい本です。

日本とスウェーデンの教育のスタンスの違いがはっきり表れていて、非常に興味深い。また、子どもを子供扱いする日本というお国柄と、子どもも一人の社会人であるとして、子どもに早いうちから【考える】ことを習慣化させているのがスウェーデンの教育方針。

政治に対する考え方や、投票率の開きなど、違ってくるのは「当然」だなあと、ストンと腑におちます。

どちらが正しいかという議論は、ここでは避けます。

大学受験のために、考えるのではなく覚えることが教育、というのがニッポン。大学を終え就職するまでは、一人前扱いはしない。

あ、私の書き方、日本に対して否定的ですかね。

でも、スウェーデン人の高校生が、日本のコミックで学園モノを読んで、日本の子どもが子供らしく過ごしている状態を「うらやましい」と感じているというのも、これまた事実。

一概に良悪を決めつけられるものではありません。

とは言え、私に子供がいたら、社会科の授業はスウェーデンで受けさせたい、と正直思います。

情報社会の現代において、自分で考える習慣がないと、マスコミや政治家の思惑に乗せられて、正しい情報が見極められなくなります。これは本当に怖いことで、極端に言うと、戦争へ邁進していく危険を察知することさえ、情報操作によって遮断されてしまうことがありえるのです。

「覚えよう」ではなく「考えよう」

コロナ禍も逆手に取って、この”考える”場面を増やす好機として、日々を大切に生きていきたいと思います。

おそらく、PCR検査もワクチンももう不要という世界に戻るのには、まる5年かかるでしょう。歴史がそれを物語っています。同じ5年を有意義に暮らさなければ、損、です。私は常に前向きです。

小学校の教科書が、大切なことを思い出させてくれました。二村店長のラジオ番組での推薦図書でした。読んでください。