在宅介護、自宅で看取り②

父には2人、兄弟がおり、どちらも関西在住。10月17日に会いにくることになっていました。また私の弟は19日のお昼まで居てくれるというので、その間に長期戦になっても大丈夫なように、手配やら買い物やら、その他もろもろができました。

私は仕事が少ないので、最優先は仕事です。

万一に備えて、必ず誰かが見守っていないといけないため、夜は私が深夜1時まで傍につき、早寝の母がその後交替して、朝まではりつきました。2人で家事をこなし、母は朝ドラのエールを観てから少し眠るため、介護の補助は基本的には私が担当です。顔を拭く蒸しタオル作り、陰部を洗うための微温湯と泡ソープの用意。看護師がお一人の場合は、体位交換やオムツ替えの際、どうしても手助けが必要となりました。

スパゲッティ症候群(患者がたくさんのチューブにつながれている状態)は絶対避けたかったので、1日に数時間の点滴のみが命綱。これが入らなくなったら旅立ちまで2~3日と、私の読んだ本には書かれていました。

介護ベッドと一緒にレンタルしたマットレスが優秀で、船のように左右にゆっくり揺れることで褥瘡(床ずれ)を防ぎます。このおかげで、ひんぱんな体位交換という重労働から解放されました。

15日は病院で高栄養(?)の点滴を受けていたので、自宅での点滴はなし。吸痰を自宅到着後すぐ、するように言われていたので行う。父の口や鼻に長さ約50cmのカテーテルを入れる作業は、慣れたとは言え、やはり気の毒。でも父は口の中に入れると噛むこともあるが、鼻は全くいやがらない。訪問医師は明日用の点滴のセットを持参されていて、明日、看護師の方に入れてもらうようにと置いていかれる。酸素飽和度は99。肌はカサカサでワセリンを塗布。微熱。

夜、私の入浴中に、母が洗面所で慌てている様子。「お父さん、ウンコしちゃったのよ」

弟と2人でオムツ交換を大わらわでやり、せっかく着替えたばかりの寝間着を汚してしまったとのこと。父には申し訳ないけど、汚れは端っこの一部なので、着替えは訪問看護の方に任せようということに。夜の吸痰は2回。

16日、訪問看護による徹底的なケア。私はこの日、在宅勤務だったため、手伝えなかった。母が介助をし、途中尿漏れがあったらしいが、パジャマに着替え、すっかりキレイな父になる。但し、点滴が入れられず、午後に連絡を受けた医師が到着。血管が出ず、あきらめて皮下に点滴。これでも水分補給にはなるのだとか。吸痰はこの日3回のみ。

17日、いよいよ叔父2人(父の弟たち)が来てくれる日。訪問看護はお二人で来てくださり、両手足の爪切りやひげそりやマッサージ、関節のリハビリまでしてくださる。父は顔色が良く、血管も出てきたので、点滴も無事OK。叔父たちとの対面が叶う。「これ、だれ?」と指をさすと、母のことは”おかん”、私のことは名前を言ってくれるが、この2語以外の発語はない。2人の叔父は、父のやせ細った姿に、ショックを隠せないようだった。

夜、点滴の終わるのを確認するのが遅れ、大切な父の血がカテーテルに逆流しているのを発見。慌てて針を抜く(ちなみに、点滴の針を抜く作業は、全日、私が担当しました)。先生に念のため電話を入れて、問題ないことを確認し、ホッとする。

18日、日曜も変わらず訪問看護と先生による点滴。医師による訪問は、1週間のうちに来ていただける回数が規定を超えると保険適用外になるとのことで、点滴のパックを4セットあずかる。家族の手による吸痰とオムツ交換もそれほど頻繁ではなく、空いた時間に細々とした介護用品を買いにドラッグストアへ。明日・月曜は訪問入浴なので、打ち合わせなどをこなす。

19日、看護師による手厚いケアを受け、午後4時にいよいよ訪問入浴。看護師・介護士と責任者の3名で、まずは父の健康状態のチェック。ところが熱があり、入浴はリスクが高いとのこと。それでもなんとか清拭をお願いし、シーツ交換まで、していただける。6時に先生が来られ、点滴を入れていただく。母が、父の死装束にするシャツがないというので、明日、仕事の帰りに私が買ってくることに。

20日、9時に訪問看護によるケアがスタート。昨日の清拭で疲れたのだろうか、父が呼んでも反応せず、目も閉じたまま。血圧は良い数字なので、急なことはないと思うが、ここ2~3日が山場かもという、看護師からのお言葉。母が眠っていたので、私と2人で介護をする。ところがオムツ交換の際、父がおしっこ! せっかく昨日着替えたパジャマもシーツまでも、尿で濡らしてしまう。大慌てで交換する。シーツは昨日洗濯に出したばかりで、交換用がなく、大きなバスタオルを敷くだけに。パジャマを着せ、出勤時間が迫っていたので、かなり焦りながら、介助に励む。幸い母が起きてきたので、仕事に間に合う時間には家を出られた。

仕事の後、メンズの洋品店でシャツを買い、帰宅。父の口元に濡れたタオルハンカチが置かれている。母によると、医師の手でも点滴を入れることは無理だったとのこと。口が乾燥することを防ぐために、時々父の口の中を、いつもケアで使っている歯ブラシ型のスポンジに甘いジェルをつけて、湿らせてあげてほしいという。先生の見立ても、血圧はあるので、この2~3日が山場というお話だったらしい。

父が細かい呼吸をしながらも安定はしていたので、母と二人で夕食の席、今後について話す。しばらく仕事は休むが、28日の仕事には行きたいこと。葬儀会社は選んであるが、連絡先はすぐ出るか。父の銀行口座についてのディープな話、等々。

入浴後、父の傍でいつものように読書をするが、全然身が入らない。口が渇き切って呼吸が苦しそうなので、何度も歯ブラシ型スポンジでジェルを塗る。とにかく父に触れていようと、乾燥している部分にベビーローションを擦り込み、額の熱をみたり、頬にさわったりする。

10時半ごろから、呼吸の音が賑やかになる。まるで呼吸の変奏曲を聞いているようだった。ひょっとしてこれが本に書いてあった下顎呼吸? うそでしょ。まだ2~3日は大丈夫って、看護師さんも先生も言っていたし、本にも載っていたのに。口蓋垂が激しく鳴っているような音が聞こえ、それがだんだん静かになり、とうとう呼吸が止まる。

私は父が亡くなったとは思えず、心臓の微弱な脈動を確認したり、手首の脈に触れたり、「お父さん」と何度も呼びかけたり。20分ほど悪あがきをしただろうか。また呼吸が蘇ると信じていたのに、まだ身体は温かいのに、父の目はずっと開かず、呼吸も止まったままだった。

母を起こし、「お父さんの呼吸が止まった」と伝えると、血相を変えてベッドのそばへ。「ああ」としばらく呆然となり、でもすぐ、「口を閉じてやらないと」と、顎を持ちあげる。しかし、口はふさがらない。数分手で支えるが無理だ。このままだと死後硬直が始まってしまう、と私が言うと、バスタオルを畳んで首元に置き、顎がなんとか閉じるように固定した状態で、用意してあったズボンと今日私が買ってきたシャツに着替えさせた。母も私も介護で一度ずつ、父の着替えを経験していたのが役に立つ。清拭も昨日したところなので、まるで図ったような父の往生だった。

思い起こせば、父の最後の発語は、私の名前だった。お父さん、ありがとう!

合掌