脳科学者の母が、認知症になる

脳科学者の母が、認知症になる 恩蔵絢子著

記憶を失うと、その人は”その人”でなくなるのか? この壮大な命題に、ご自身の母親の認知症という現実を、科学者の目でとらえ、ドキュメント的な体験記という形で1冊にまとめられたのが、この本です。

お母様は活発で社交的で趣味もいっぱい持っていらした。そんな方がアルツハイマーになるのだから、病気は無慈悲です。ボケ防止に趣味を持とうと、私のドイツ語講座の募集うたい文句にもしていますが、人間にはどう足掻いてもコントロールできないことがあるようです。

加齢により、誰でも多少は記憶力が衰えますが、アルツハイマー型の記憶障害とは、ごく簡単なことでも新しいことが覚えにくくなることが特徴で、これは海馬の損傷に起因するとのこと。

残念ながらアルツハイマーの治療薬は現在ありません。薬以外で、運動療法・音楽療法・回想療法などが奨励されています。新しいことはほぼ壊滅的に覚えられないのに、昔のことは鮮明に覚えているのは、アルツハイマーの特徴です。この回想を使って、アルツハイマーに伴う「孤独感」を減らし、「安心感」やポジティブな感情を活性化させるのは、なかなか良い方法だと思えます。

法律で安楽死が認められているオランダでは、意外な形で認知症が問題になっています。認知症は「治る薬がない病気」「自立性が失われ、大事な人の重荷になる病気」「記憶が失われ、自分が自分でなくなってしまう恐ろしい病気」だから、まだ頭がはっきりしているうちに、認知症になったらいかなる治療も行わず、安楽死させるよう意思表示する人が増えているというのです。

しかし、アルツハイマーになった本人の意思を正しく判断できる方法がありません。もし、例えば回想療法がうまく働いて、ポジティブに幸せそうな笑顔を見せているとしたら、現在幸せな状態にある人を、覚えていない事前の意思表示に従って安楽死させるというのは、人道的と言えるのか、という議論が起こっているそうです。

安楽死という物騒な話題から離れて、アルツハイマーの初期症状についてピックアップしてみます。初期の認知症患者へのインタビューによると、ほとんどの人が、自分の症状に多かれ少なかれ自覚的だったそうです。彼らは不安で心配なのです。人前でミスすること、家族に認めてもらえないこと、家族が自分の代わりに全部やってしまおうとすること。それらに一番傷ついているのです。

河合隼雄先生の「『老いる』とはどういうことか」に出てくる、ひと昔前のアイヌ民族の話は印象的です。村の民族は、老人が「呆け」て言葉が通じなくなった時、「神用語を話すようになった」、つまり自分とは心を通わせることができない神様のような存在になったと考えることによって、仲良く暮らしたのだとか。

アルツハイマーになることを防ぐ決定打がないならば、もし罹患した時、周りにどう接してほしいかを正しく教育しておくことが、一番大事だと思えます。攻撃的になったり、嘘をついたり、周りに迷惑と思われる行動をとる症状は、周囲の人が「認知症とはこのようなネガティブスパイラルに陥りやすい」と知っていれば、防げる可能性が高いようです。

世の中には「認知症にならないために」という本が数多く出回っていて、認知症になることが「敗北」であるかのような印象を与えられています。でも、もっと広い心で「認知症の人は、どんな思考回路によって、こんな不思議な行動をするのだろう」と考えると、意外に普通の感情からきているものが多くあることが、様々な情報から分かってきます。

そのことを正しく勉強し、自分の親には、たとえアルツハイマーになっても、穏やかな老後を過ごしてもらい、その自分の親への接し方を子供に見せることによって、ポジティブスパイラルが連綿と続くことを願っています。

子ども時代が、誰もが辿った道であるならば、老後も、これから誰もが辿る道。決して他人事ではありません。アルツハイマーは決して人格が変わってしまう病気ではなく、周囲の理解があれば、お互い穏やかに幸せに日々が送れる病です。

記憶を失っても、その人らしさはなくなりません。脳科学者・恩蔵絢子さんが力強く断言しています。