東京裁判で絞首刑を宣告された7人のA級戦犯のうち、ただ一人の文官であった元総理、外相広田弘毅。戦争防止に努めながら、その努力にことごとく横やりを入れ、水を差し続けた軍人たち。結局はその敵対した軍人たちと共に処刑されるという運命に直面し、それを従容として受け入れ、一切の弁解をしなかった広田。
そんな高潔な人物がこの日本にかつて存在したことを思うと、桜を見る会の資料抹消問題や、レバノンまで逃亡したカルロス・ゴーンなどのことが、あまりに情けなく感じられるのでした。
我が身かわいさ、とか、保身、とか、多分”フツーの人”は、自分を一番大事にするのが当たり前なのでしょう。でも、「お金も発言力もある」と主張して、自らの潔白を正規の方法で明かそうとしないというのは、許される行為ではないでしょう。プライベートジェットで逃げるということが可能な人は、例え殺人を犯していても、法の網から免れることができるということでしょうか? まあ、さすがにそんな罪状では、保釈はされなかったでしょうが。
ゴーンの弁明会見を動画で見ましたが、本当に「ライオンの肉を食べた」んじゃないかと思うくらいの熱弁でしたね。4割の財産を今回の逃亡で失ったという報道もありましたが、世界各地に一体どれだけの資産を保有しているのか。世の特権階級の人たちは、一体どれだけ贅沢をすれば、満足できるのか。きっと彼らには満足の極みなんてないのでしょう。
落日燃ゆを読むと、人の上に立つ人物は、まさにこんな方であってほしい、という理想像のような広田の生涯に感動します。激動の昭和史に、軍部の暗部しか見えなかったあの時代に、一筋の希望の光であり続け、その姿勢を貫き通した、男の中の男。
城山三郎氏の抑制した筆致が冴えわたる、毎日出版文化賞・吉川栄治文学賞受賞作。味わい深い1冊です。