岩田店長推薦の髙山文彦氏による「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」を読んだ時、私は自分がいかに水俣病問題について無知であったかを思い知らされました。
もちろん水俣病が有機水銀によりひきおこされた怖ろしい公害病であることは知っていました。ただ患者の写真や映像を見たり文書で読んだりして、そのあまりに悲惨な姿を見続けることが辛く、遠ざけてしまっていたのが正直なところです。
この「ふたり」は、現在の上皇上皇后のお二人が水俣病患者と歴史的な対話をなさり、異例尽くしのドラマが彼の地で繰り広げられた顛末を、抑えたタッチで綴ったノンフィクションです。
皇后雅子様のセンシティブなお立場についても触れており、私のような不勉強な者がそのことについて何か述べるのは畏れ多いので、ここでは割愛させていただきます。
まずは水俣病について、目を背けず勉強しようと思い、石牟礼道子さんの代表作にして水俣病問題のバイブルとも言える「苦海浄土」を読むことにしました。
背表紙を見てまずびっくり。厚さが6cm以上あるのです。第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれた作品ですが、石牟礼さんは受賞を辞退されました。
世間に水俣病という公害病の存在を知らしめたのは、この「苦海浄土」です。
企業が利潤を追求し、経済活動により《人殺し》をしても、その罪を正しく認めようとしない。これは日本だけなのでしょうか? 水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく。いずれも患者や遺族が訴えているにもかかわらず、当該企業は汚染物質を垂れ流し続け、原因はまだ未解明と責任を回避する。
話は飛びますが、例えば外国では、ある農薬が人体に危険かもしれない、という疑いが生じたら、まずその農薬の使用を全面禁止し、人体への影響が徹底解明されるまで、口に入らないようにします。
ところが日本では「疑わしきは罰せず」というか、危険かもしれない農薬の使用は、実験結果が明らかにNOを突きつけるまで《認める》のです。まるで国民の健康や命より、メーカーの存続を大切にするかのように。
先進国では軒並み使用を禁止しているトランス脂肪酸である「ショートニング」を無邪気に食べているのは日本人くらいでしょう。ここにも厚生労働省とメーカーの癒着があるのではないかと、私は密かに疑っています。
数々の公害病や薬害など人命にかかわる問題を直視せず、被害が甚大になって初めて対応する政府の体質。企業の責任逃れ。化学工業メーカー・チッソは猫が有機水銀で悶え苦しむのを実験していながら、工場からの排水を止めませんでした。熊本で「水俣病を告発する会」が発足したのは1969年だそうですが、21世紀の現代になっても、その本質は変わっていないようです。
「苦海浄土」を読んでくださいとは言いませんが、「ふたり」はぜひ一度、手に取っていただきたい作品です。
かなりハードルの高い「苦海浄土」の表紙折りこみ部分の文章をご紹介して、今日のところは終わりにしようと思います。
水俣病を告発する会の代表・高校教師本田啓吉先生のお言葉
「我々は一切のイデオロギーを抜きにして、ただ、義によって助太刀いたします」
この時、義という言葉は字面の観念ではなく、生きながら殺されかかっている人々に対する捨て身の義士的行為を意味した。それは、当時高度成長を目指して浮わついていた拝金主義国家に対して、真っ向から挑戦した言葉でもあった。
拙いこの三部作は、我が民族が受けた希有の受難史を少しばかり綴った書と受け止められるかもしれない。間違いではないが、私が描きたかったのは、海浜の民の生き方の純度と馥郁たる魂の香りである。生き残りのごく少数の人達と今でもおつき合いさせていただいている。まるで上古の牧歌の中に生きていた人々と出会うような感じである。
石牟礼道子