綴る女 評伝・宮尾登美子

宮尾先生の世界を思わせる上品で華麗な表紙

林真理子さんの作品で「評伝」というのは他にあるのでしょうか。宮尾登美子先生は私の大好きな作家であることもあり、「綴る女」はとても面白く読みました。

宮尾先生の作品の中でも、私のお気に入りは「序の舞」。島村松翠の生涯が、フィクションなのか実話なのか、その優雅でたおやかな絵が見えるような描写に、うっとりしながらハマったものです。

上村松園という画家がモデルになっていることは、後になって知りました。たまたま三重県内の美術館で「上村松園展」が開催されたのを機に、初めて原画にお目にかかったのはいつだったか。日本画の究極の美とは、まさにこれでは、と思わせるような繊細で美しい絵の前で、私は呆けたようになり、しばらくボーゼンと立っていたのを今でも思い出します。

その松園の遺族から、宮尾先生が大顰蹙を買っていたというのは、驚きでした。

林真理子さんも、宮尾先生の大ファンだったからこそ、この評伝を手掛けたわけですが、事実をつまびらかにするにあたり、遺族や関係者には、どのように承諾を得たのでしょうか。興味を引くところです。

あくまでも「評伝」なので、林さんの筆は小説を書く時のそれではなく、コラムを書く時に近い表現で、それが私には心地よく響きました。

多作の林さんの作品も、ほぼ目を通していますが、お忙しい方だからか、「書籍化にあたり加筆・訂正しました」ということわりを、巻末にみつけた記憶がほとんどありません。この「綴る女」には”加筆・修正したものです”の文言があるのですが、小説やエッセイは校正以外はされないのでしょうか? 特に新聞の連載などは、そのまままとめただけでは、違和感があるように思うのですが。

ちなみに私は、続きが気になってしかたなくなるので、新聞小説は読みません。だからじっくり比較したわけではないのですが。ついつい他の作家の”○○新聞にxx~XXまで連載されたものを大幅に加筆・修正いたしました”という見慣れた文言を林さんの小説では見ないことを、常々不思議に思っていたところです。

評伝という形態は、林真理子さんの作風に良く合っている、なんて言ったら、上から目線とののしられそうですね。でも、私は個人的に、小説の「西郷どん」よりこの「綴る女」の方が数段気に入っています。次は田辺聖子先生とか、まだご健在ですが瀬戸内寂聴先生に打診されるとか、あるいは渡辺淳一先生なんかも面白そう。ははは、勝手なことを書いてしまいました。お目に留まることはなさそうですが、万にひとつの偶然でもあれば、ぜひ、お願いします。