思い込みで失敗することが良くあります。
在独中、ドイツ人の友人のバースデイパーティに招かれた時のこと。色とりどりのオードブルがキレイに並んでいたのですが、オリーブやチーズに突き刺さっている爪楊枝が「さかさま」なのです。なんでだろう?と思って食べてみたら、なんのことはない、両側とも尖っているだけのこと。まさに、日本人の思い込み。爪楊枝とは持つところが細工されているものであり、それがワールドスタンダードだと信じ込んでいた私が《バカ》だったのです。そうですよね。両端が尖っている方が、作るのも簡単で合理的。日本の爪楊枝は「芸が細かい」ってやつでしょうか。
さらに昔に遡って。
初めて一人でドイツを旅行したのは、1992年。バルセロナオリンピックの真っ最中だった夏でした。当時、サバイバルイングリッシュと片言のドイツ語で、単独旅行に挑んだのですが、童顔・幼児体型の私は、いたるところでものすごく親切にしてもらえました。
アジア人が珍しかった頃だったのでしょう。話しかけられる言葉は全て英語でした。片言のドイツ語を使うと、びっくりするくらい喜んでくれたものです。「Danke(ダンケ・ありがとう)」くらいしか言えなかったのに。セルフサービスのお店で瓶ビールを買って、栓抜きが高い所にあって届かず困っていると、青年が私の瓶を気軽に開けてくれました。私が「ダンケシェーン」と言うと「ビッテシェーン(どういたしまして)」と返ってきて「きゃあ、教科書通りだわ♡」と妙にハイテンションになったのを今でも覚えています。
ところが、最近読んだNHKのドイツ語講座テキストには、ドイツでは見るからに外国人(西洋系でないルックスの人)という人にも《ドイツ語で》話しかけるのが普通になってきている、と書かれていました。移民国家に移行しつつあるので、そもそもトルコ人はとても多いし、3代目・4代目が大勢います。アジア系アフリカ系も増えてきており、ドイツで育った彼らは、ドイツ語がネイティブであることがほとんどです。
そんな事情で、見た目で判断して、英語で話しかけたり、ドイツ語を話すのを聞いて「お上手ですねえ」などと言ったりするのは《失礼にあたる》ことが増えてきたのだとか。
日本も少しずつ外国人が増えてきましたが、まだまだ外国人に対するリアクションは、好奇に満ちた、という表現がまかりとおりそうな感覚です。親切心や善意はもちろんOKですが、上手な日本語をことさら褒めたり、お箸がうまく使えることをおだてたりするのは、一種の蔑みとも取れる行為とみなされる場合があります。
まだまだ過渡期なので、外国人が日本に定着し、日本人が彼らを普通に受け入れるには、時間がかかるでしょう。
私は最近、日本語教室を任され、かなりの数の研修生・技能実習生と在住者に日本語を教えています。日本にずっと住みたいと言い「日本人女性と結婚したい」と無邪気(?)に夢を語る青年たちや「日本のアニメをたくさん分かるようになりたい」というイマドキの女性たちに囲まれ、教案作りに四苦八苦しております。
彼らが長く日本で暮らせば、自然と2世3世が誕生し、今後は日本も現在のドイツのように、エキゾチックな姿の日本語ネイティブが増えていくかもしれません。私は日本の少子化を考えれば、それは歓迎すべきことだと思っているし、日本の国際化に少しでも寄与できる《日本語講師》という仕事が気に入っています。
外国人に対する偏見とか差別意識、特に彼らのことを睥睨する経営者の意識を変えていければ、と壮大な夢を持っていますが、ま、それは別の話。「やさしい日本語」のブログでもお伝えしましたが、外国人を見かけたら、臆せず話しかけてみましょう。彼らは実は、日本人とコミュニケートしたいと思っていることが多いんです。