ドイツ人の衛生観念

庭のブラシの木。赤いのは実は花です。

麻生大臣の「民度」発言が話題になっていますね。私のドイツ人の友人からは、今回のコロナ禍に対する日本人の対応は「見習うべき」と称賛するメールが届いています。

ドイツで暮らしていた時、生活習慣の違いから、小さな摩擦はよくありました。

家の中で靴を履かない。これはもう、日本人のDNAには沁みついている習慣でしょう。ドイツで、畳はさすがに見ませんでしたが、板の間はスリッパ、絨毯の上は靴下か裸足を徹底している日本人家庭も珍しくありませんでした。

ドイツ人の友人が家に遊びに来た時は、「外の靴はここで脱いで、このスリッパを履いてね」と頼むと、面白がって喜んで従ってくれましたが、仕事で来た人はそうはいきません。最上級の敬語でお願いしても、「靴は脱がない」の一点張りです。嫌なら床に新聞を敷けと。

ヨーロッパ人にとって、人前で靴を脱ぐ行為は、裸になるのと同じくらい屈辱的(?)なのだとか。ビーチで海水パンツに革靴という、日本人には珍妙きわまりない姿で、波と戯れているイギリス人の子どもがいたと、本で読んだこともあります。

住居内の検針作業や、家電の修理・配線業務に来た技術者には、靴を脱いでもらうという発想は捨て、靴の上にシャワーキャップをかぶせてもらう、という逆転の知恵で解決しました。

でも、外のバイキンをいっぱい踏んづけた靴を、そのまま家の中に持ちこむ習慣は、コロナウイルスから逃れるためにも、止めた方がいいと思われますね。

マスクの習慣は、日本人にはありふれたエチケットになっていますが、ヨーロッパでは「不審者」のレッテルを貼られる元で、そのネガティブイメージから、なかなか徹底できなかったようです。

今では電車内やお店の中では”義務化”されているそうですが、それでも、顔の表情が分かりにくいからと、反対運動をしている少数派も根強くいるとか。

私は、コロナ以前のドキュメントで、マスクが普通になった日本人が、結婚式もマスク姿で挙げ、生活も夫婦そろってマスクを欠かさないというのを見て、唖然とした覚えがあります。何事も過ぎたるは・・・ですね。

さて、なぜブラシの木の写真かというと、食器洗いのことを、ちょっと書いてみたかったからです。私はドイツ人・イタリア人・スペイン人・フランス人・イギリス人の家庭での食器を洗う様子を観察しましたが、みな同じ方法でした。

まず、シンク(日本のシンクの大きさよりかなり小さい、半分から3分の1くらい)の中をきれいにします。そして水かぬるま湯を入れて洗剤を加えて泡立て、食器・カトラリーなど汚れたものを投入。スポンジで汚れを落としてオカに上げ、布巾で拭きます。「すすぎません!」

あらかじめ知っていたので、驚きませんでしたが、水を大切にする、という考え方は、他でも徹底していました。例えば、ケーキに使うスモモを畑から摘んでくると、全く洗わずに種を取ってパイ生地に並べて、オーブンで焼いてしまいました。高温殺菌でOK、みたいな。あるいは、ドイツ人のソウルフード・ジャガイモ。これをゆでた「ゆで汁」も捨てません。鉢植えの水やりに使うのです。

よく日本人女性とドイツ人男性の夫婦を見ましたが、彼らの間でも、こと水の使い方に関しては、ケンカの種だったようで、食器洗い・シャワー時など。「Oh, Gott! オー、ゴット」ああ、神様、とヒドイ言われようらしいです。

民度とか衛生観念の上下などというレッテルを貼りたくないので、ドイツ人の綺麗好きの一面も紹介します。

日本人とドイツ人がシェアハウスで暮らすと、共有スペース(キッチンやバス・トイレなど)は交替でお掃除、となるのですが、日本人が掃除した後をピカとすると、ドイツ人の掃除後の状態はピッカピカです。彼らは本当に「徹底的に」きれいにします。

ケチと言われるドイツ人が、掃除人を雇って、自分の家の中を美しく保っているのを見ると、もう脱帽。窓も定期的に磨きます。ある日本人駐在員の住んだ家は、5年の滞在中一度も窓ふきがされなかったため、退去時、窓の汚れがとれず、ついにはガラスを総入れ替えと相成ったそうです。”日本人は綺麗好きではない”というレッテルが貼られた屈辱的なエピソードで、今日のところは終わりとしましょう。