奈良少年刑務所で行われた絵本と詩の教室、素晴らしいんです。

満足な愛情を注がれなかった子供が非行に走る。教育学を勉強して身につけた知識ですが、悲惨な生い立ちを読むにつけ、自分が恵まれた境遇であったことに、改めて両親への感謝の念がこみ上げます。

私がドイツ人の友人の一人で仲良くしている女性は、大学で教育学を修めた後、まず、日本の小学校にあたるグルンドシューレの教師になりました。

体力的にきつかった(スポーツが苦手なヒトなんです)ため辞職し、何が自分に向いているかを模索するため、ゲーテインスティテュートに研修で来ていた時、私たちは出会いました。

外国人に自分の母語であるドイツ語を教える、というのは、経験としては面白かったようですが、職業として選ぶほどではなかったようで、その後、彼女は「刑務所内の教師」という、なんともハードな仕事に就きました。

当初は「レイプしたことのある男性とか、人を誤って殺してしまった人とか、恐いんだけど・・・」と、いろいろ悩みを聞かされました。

収監されている囚人たちはアビトゥア(高校卒業資格)をほとんどが取っていないので、そんな彼らにアビトゥアを取得させるよう教育するという、社会的意義の高い仕事で、友人もその使命に遣り甲斐を強く感じていたようです。

在独中、彼女と一緒にフローマルクト(蚤の市)を廻るのは、年に一度の恒例行事になっていました。趣味趣向が似ていた私たちは、お互い助け合って、広大な市場で自分たちのターゲットになる物品を見つけ、ああでもない・こうでもないと、売り手との絶妙な駆け引きをしながら、お宝をゲットしていました。

古い教科書なども売りに出されていて、彼女が「教材に良さそう」と熱心に見入っていた様子が思い出されます。

「あふれでたのはやさしさだった」の著者・寮美千子さん。少年刑務所で詩を教えて欲しいと依頼されて躊躇する様子は、昔、友人から聞かされた恐怖感に重なります。そりゃ、コワイと感じるのは当然です。

でも、幼い頃から傷つけられてきたために身につけた鎧は、周囲にはなかなか受け入れられないものの、心から信頼できるヒト・場があれば、その鎧は脱ぎ捨てられ、時には一瞬で消滅したりもするのです。

絵本と詩で、頑丈な鎧をまさに《溶かして》いくような、心に染み入る授業。

少年たちを見守ってきた教官たちの熱い想いを、寮先生が恐る恐る受け止め、やがて自分の授業の成果に自分自身で驚き感動するという、素晴らしいエピソードが満載の本です。

名煉瓦建築はまだ残っているのでしょうか。次回、奈良を訪れる際に、ぜひ拝見したいと思っております。