「ゴリラ裁判の日」小説の可能性を十二分に発揮した物語

カラスが簡単な算数ができるというのは、実験で見たことがあります。

賢いチンパンジーが買い物に行くのも、テレビで時々放送されていました。

さて、ゴリラが喋れるようになるか? ゴリラ研究の権威・山極壽一先生が本作品の監修もなさっていらっしゃいますが、この物語はあくまでも「小説」であり、フィクションと考えるべきなんでしょう。

映画「ダイ・ハード 2」をテレビで父と観た時、航空自衛隊の管制官という職種から

「よう、こんな荒唐無稽な映画を大金かけて作ったなあ」

と呆れていました。パイロットは一旦離陸すると、頭の中は《無事に着陸すること》を最優先で考え、目的地が着陸不可と分かると、すぐさま最寄りの着陸可能な空港を探したり、管制官からも様々な情報や指示がもたらされるそうです。なにしろ人間は空を飛べませんからね。

私もトランジット先の空港に台風が上陸中で、最寄りの空港で6時間も足止めを喰らい、しかも機内でじっと待たされた記憶があります。軽食と余分に映画を観られたくらい。もう遥か昔の話なので、映画を選択できるような時代ではなかったのです。

落語家の桂文珍さんは、ご自身でセスナを操縦されるので飛行機関連の知識はもちろん豊富で、その「ダイ・ハード 2」への酷評は辛辣だったと記憶します。

医療系のドラマなどでも、我が子に執刀する医師が父親というのは【ありえない】という常識が、一般人にはやはり無いため、時々放映されていました。

まあ、とにかく「作り話」です。

でも、だからこそ、口に出しにくい《本音》や《真実》を表沙汰にできるという素晴らしい効能もあります。

ローランドゴリラのローズが人間という生物に持つ印象という形で語られる内容は、現代社会の矛盾を鮮やかについていて、一種爽快感さえ味わえます。

これを読んだ映像関係者が、ドラマ化や映画化を考えそうですね。でも私は脳内ローズだけで満足したいと思っております。