日本人はマジメすぎ?

日本語のへそ 金田一秀穂著

「日本語のへそ」とはなんぞや。へそのように、なくてはならないけれど、なくてもいいようなもの。言葉のへその力を、日本語学者のサラブレッド・金田一秀穂先生がひもといています。

多過ぎる一人称はムダなのでしょうか? 例えば私の場合、ふだんは「アタシ」と言っていますが、仕事の時は「わたし」、改まった場面では「わたくし」と、自分でも3種類を使い分けていることに気づきます。

男友達と話していると、「ボク」が「おれ」に変化するのが、ちょうど酔っ払い始めた時に一致します。

金田一先生によると、日本語の一人称が多様なのは、空気を読みやすくするため、ということです。私自身はいわゆるKY(空気が読めない)なのですが、これまた多様な二人称の変化で、上司が本音を言い始めるタイミングを計っていました。「あなた」が「おまえさん」になり、最後には「おまえ」になるのです。

「正しい敬語」とか「美しい日本語」とか「言葉の語源」とか。日本人はまじめすぎると金田一先生は嘆いておられます。無駄話が日本人はヘタ、というのが先生の持論ですが、確かにお座敷では芸者さんが来ないと間がもたず、飲みにいくと、おしゃべりよりもカラオケで盛り上がるのが、日本人です。

共通の話題がないと話が続かない、という理由もあるかもしれませんが、会社の人事や芸能界の噂話などを嬉々として話していた昔の同僚とは、私は話が合わず苦労しました。政治経済の話が好きなのですが、日本人は、特に女性は、そういうテーマを嫌うのですね。

旅行などで外国人と知り合うと、日本の天皇制や自衛隊や被爆国の立場などを尋ねられることがあり、拙いドイツ語や英語で、自分なりの意見を述べるのは、とても勉強になり、同時に刺激にもなりました。こういう話を日本人同士でしようとすると、つまはじきにされます。哀しいです。

自分で考えることをやめる人が増えると、世の中はファシスト化していくそうです。コロナ禍で、マスクはいつならはずしても良いか、自分で判断できない人、GOTOキャンペーンに乗るべきかどうか迷う人、など、自分で決められない人が大勢いることが、私には少し怖い気がしています。

バランス感覚をみつけるのには、良書をたくさん読むことがオススメです。8分に1度スマホの画面を見てしまうのが、現代人だそうですが、スマホという時間泥棒の誘惑に負けないで、本を読んでみてください。きっと何か触発されること、琴線に触れることに出会えます。