ユヴァル・ノア・ハラリ氏と言えば、「サピエンス全史」、「ホモ・デウス」と人類の歴史を過去から遠い将来まで深く掘り下げて書いた天才歴史学者です。朝日新聞のインタビューで、AIが支配する世界を予言し、それに対抗する手段を語っておられました。
氏が引く例えや表現は、非常にクリアで鮮明、そしてユーモアにあふれています。恐ろしいほど膨大な資料を読みこなしているのが見てとれます。著作権に触れるといけないので、そのまま写したいのですが、私流の表現にアレンジします。
21世紀になって、史上初めて、感染症で亡くなる人の数より老衰で亡くなる人の数が多くなり、飢饉で命を落とす人より肥満で命を落とす人の数が上回り、暴力のせいでこの世を去る人の数より、事故でこの世を去る人の数が上回っている。
原文がきっと素晴らしいのでしょうが、柴田裕之氏による和訳もまた秀逸といえます。読んでいて、翻訳独特のざらつき感がなく、すんなりと読めます。現代人のスマホに頼りきった生活をユーモラスに描いたこんなくだりがあります。(少し変えます)
人々はグーグルを頼りに歩き回る。交差点に差しかかると、直感は「左に曲がれ」と告げているのに、グーグルマップは「右に曲がれ」と言う。最初は自分の直感に従って左に曲がり、交通渋滞に巻き込まれ、重要な会議に出席しそびれる。次の時にはグーグルの言うことを聞いて右に曲がり、会議に間に合う。こうして、経験からグーグルを信頼することを学習する。1、2年のうちに、グーグルマップの言うことなら何にでも、ろくに考えもせず従うようになり、スマホが故障したら、完全にお手上げ状態となる。
自動運転の車を買うとしたら、あなたは何を基準に選びますか?
2015年のある先駆的な研究では、複数の歩行者を自動運転車が今にも轢こうとしているという、架空の筋書きが参加者に示された。ほとんどの参加者は、そのようなケースでは、歩行者を助ける方を選んだ(運転手の命を犠牲にしてまでということ)。ところが、いざ自分がその車を買うかと尋ねたら、大半の参加者は、運転手を守るようにプログラミングされた車の方を買うと答えた。
これはもう現代版ホラーと言えますね。
情報に振り回される現代人の姿を、氏は嘆いているように見えます。せっかくの美味しい料理を味わうことより、テレビやスマホから流れてくるメッセージに気をとられてしまっている。それは、今の社会が安全の上に成り立っているからだと。昔なら、この食べ物は果たして食べられるのか、毒は入っていないのか、自分で判断しなければならなかったのですから。
21世紀の大きな課題は、あまりにグローバルすぎる。これは、気候変動などの問題で、私たちが身に沁みているから、よく分かります。温室効果ガスだけでなく、コンピューターによる職業のパイの変化の問題や、バイオテクノロジーの発達が果たして人間に幸福をもたらすのか、といった哲学的な難題もあります。
二酸化炭素排出削減については、国によって思惑があるようです。私は自分の考えが一方的であることに、この本によって気づかされました。例えばロシアは温暖化によってシベリアの凍土が緑化され、北極海の航路が開ける可能性が広がるのです。化石燃料に頼ることを止めなければと言われて久しいですが、その石油や天然ガスを輸出して潤っている国々にとって、エネルギー転換は死活問題になります。
宗教についても、氏は多角的な視点で書いています。日本の神道についても詳しい記載があり、一神教より多神教の方が平和が望めるという見解には、日本人として嬉しくなりました。唯一の神しか信じないということは、他の考えを受け入れないということにつながり、争いのもとになるという理論です(すいません、私が単純化したので、ニュアンスが違うかもしれません)
社会的な哺乳動物というのは、本当にカシコイのですね。というより、人間で言うなら福祉的な思想(?)をイルカやサルも持っている、というエピソードを読んだ時には、素直に感動してしまいました。
クリーン・ミートの開発についても、氏の筆は及んでいます。小泉進次郎環境大臣のステーキ事件(?)で日本にも広く知られるようになりましたね。1kgのジャガイモを生産するのに必要な真水は278リットルなのに対し、1kgの牛肉を生産するには約1万5000リットルのそれが必要になるという事実。世界的にベジタリアンやビーガンが増えてきています。
「ヒナギク」の広告。今、それほど影響力のあるメッセージを発しているのは、この本かもしれません。
残念だったのは、グレタさんの活動が注目を浴びる前に、この本が書かれたらしいこと。彼女の勇気ある行動を、氏がどう評価し、なんと表現するか、次回作にまた期待が募ります。
相当歯応えのある一冊ですが、現代のバイブルと言える超良書です。