「私の半分はどこから来たのか AID で生まれた子の苦悩」を読む

まずは AID という言葉の説明から。

日本語では《非配偶者間人工授精》といいます。卵子のできない女性のための「卵子バンク」や無精子症などの男性のための「精子バンク」を利用し、どちらか片方でも良いから血のつながりがある子供が欲しいという切実な望みを叶えるため、人口授精で子供を授かるシステムです。

もう随分昔にテレビで観た・精子ハンター(私の勝手な命名です)・のドキュメントの強烈な記憶が蘇りました。

細部は覚えていないのですが、ある女性が「収入はしっかりあり、結婚はしたくないけど、自分の子はほしい」ついては《優秀な精子提供を希望》ということで、高級酒場で男の人を物色・性交渉の要求をするのです。私が勝手にハンティングと名付けたのは、これが理由で、その撮影時には既に医者だったか弁護士だったかの男性との間に生まれた子供を育てているところでした。そして彼女がつぶやくのです。「次はスポーツのできる子供がほしい」

その女性はスポーツ選手とかオリンピック選手とかを探していました・・・

ドキュメントだから、極端な方にご登場願ったのでしょうが、もうビックリでしたね。

大野和基氏によるノンフィクション「私の半分はどこから来たのか」は、AID という昔はなかった技術により、新たに生まれた子供たちの、一種《悲劇》とも言える例を報告しています。

大人の事情でこの世に生まれ、アイデンティティがあやふやで生きづらさを感じている人がいる。「自分のルーツが分からない」ことがどれだけ苦痛か、そこまで想像力が至らなかったために、様々な問題が生じ、各国で法整備が進んでいることなどが書かれています。

大人の欲求よりも、生まれてきた子供の人権を守る。そんな基本的な理念が、ここ日本では重要視されていない現実にがっかりしました。日本ってつくづく権威主義なんですね。

LGBTQ が浸透し、AID は今後もっと熟考されるべきテーマ。興味を少しでも持たれたら、ぜひ読んでほしい1冊です。