ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ブレイディみかこ著

在独中、香港系オランダ人の同僚がいました。両親が香港出身で、ごく幼い時に家族でオランダに移住し、そのままオランダで育ったという女性で、広東語とオランダ語のバイリンガル。但し広東語の読み書きはほとんど全滅。一方、オランダ人にありがちで、英語はほぼネイティブ、ドイツ語も流暢な多言語遣いでした。

彼女はメンタリティは「西洋人」でしたね。でも両親から受け継いだオリエンタルな気質もあったので、会社の中では私にとって最も気の合うヨーロピアンだったのです。彼女は自分のことを”バナナ”と呼んでいました。このバナナ、なかなかうまい表現です。見た目はイエロー、でも中身はホワイト、という意味。つまり黄色人種に見えるけれど、精神的なところは欧米人だというわけです。

さて、ブレイディみかこさんの子ども観察エッセイ。しっかりものの息子さんに脱帽です。イギリスのレイシズムについては、藤原正彦氏の「遥かなるケンブリッジ」で予習した感がありますが、アメリカに劣らず、そして想像するに、きっと世界中に差別思想は存在するのでしょう。哀しいことですが。

日本人は特に異質なものを排除する傾向が強いように思います。聖徳太子の「和をもって・・・」の精神を大切にするよう刷りこまれているのでしょうか。個性が大切、もともと特別なオンリーワン♪、などと声高に叫ばれたりもしましたが、やっぱり出る杭は打たれ、出過ぎた杭は抜かれる。

「多様性によって喧嘩や衝突は絶えなくなるし、ない方が楽」でも楽ばっかりしていると「無知になる」。なかなか深いと思いませんか? 人種とは国や肌の色の違いだけでなく、(親や自分の)職業や経済状況、LGBTなどの性的嗜好(?)でも差別の要因になりえます。

私自身はツルむのがどうも苦手で、ランチタイムの女子会を避け、孤独に読書を楽しんでいたりしました。いわゆる「仲間はずれ」というか。いじめられた経験は幸いなかったですが、孤高というやつですかね。ハハハ。

大坂なおみ選手のマスクで、ブラックライブズマターという言葉も日本で市民権を得たように思えます。レイシストを増やさないためにも、この本を「一生モノの課題図書」に。なかなかいいアイデアだと思います。