なぜ草刈をするのですか?

私がいかに始末屋かという事実をあらわしているのが、この写真。右は元ケチャップの瓶、左は香水の空き瓶です。そして今、挿してある花は、白い方が家の近所の崖に、紫は散歩途中、至るところに咲いていたもの。どちらもいわゆる「雑草」なんでしょう。

雑草と呼ぶには理由があります。どうやらボランティアによる草刈が行われたらしく、今日お散歩に出かけた時には、この可憐な(と私は思うのですが)花たちはみ~~~んな刈られて、崖も道端も丸坊主になっていたからです。

ここで質問です。なぜ、草刈りをするのでしょう??? 私は不思議でたまらないのです。

植物は光合成をしています。今、世間で大きな問題になっているCO2・二酸化炭素を酸素に変えるという、人間にはできないありがたい営みをしてくれているのです。

小さな草の営みはごく微力かもしれません。でも電動草刈り機を使って、騒音をまき散らしながら草を刈り、大きなゴミ袋を大量に出す行為は、賢い行動とは思えません。

そもそも「雑草」として刈られる草と残される植物の線引きは、果たして誰がするのでしょう。その線引き自体、正しいんでしょうか?

「雑草という草はない」とは畏れ多くも昭和天皇が引用して語られたこともあるお言葉。

ちょっと工夫すれば、こんな空き瓶も道端のちょっとした小花で、目を楽しませるインテリアになるのです。(あんまりおしゃれではないかもしれませんが)

美観とか治安(安全性)とか、いろいろあるのかもしれませんが、せっかくの緑を活かすことを、多くの人に考えてもらえればと願っています。