日本語のゆくえ

テレビの日本語 加藤昌男著

ブログのタイトルに「語学」も冠していながら、このテーマを論じることを怠っておりました。たまたま手に取った岩波新書に、日本語の乱れについて興味深く書かれていたので、取り上げてみようと思います。

今更ながらですが、私は「イケメン」という言葉に抵抗があります。この言葉が流行るきっかけになった当時、私が日本にいなかったのが、一番の理由だと思われますが。一方、ドイツにいた時、私は同じ語学学校の留学生に「男前」という言葉を流行らせました。日本人のかっこいい男性を褒める言葉として、この表現はテッパンだと言いふらし、かなり浸透させた記憶があります。今でもハンサムとか美男子などという生ぬるい形容ではなく「男前」という言葉の響きに魅力を感じます。

「やばい」が状況がひじょうに悪い、という意味から、良すぎる、という肯定的な意味にも使われている現状は、ドイツ語にも” toll トル”という形容詞で同様に見られます。古くは「気の狂った」とか「狂犬病の」という意味だったのが、今では「素敵な」とか「とてもいい」という使われ方をしており、ジェネレーションギャップのある言葉です。

本書では、業界語が耳障りであるとして、テレビでタレントが俗語を使っていることに、不快感を示しています。「マジ」(本気)は「シャレ」(冗談)の対で、楽屋裏の符丁だったそうですが、今では普通に使われていますね。ドタキャンも元々は芸能界の俗語でしたが、状況がイメージしやすい表現として、定着した感があります。

真面目な話になりますが、災害報道の言葉に加藤昌男氏は憂いを抱いています。津波が襲った後の状況や瓦礫の映像を流す際、「ご覧いただく」と敬語を連発していたこと。阪神・淡路大震災では「高速道路が”見事に”倒れています」という不謹慎な表現があったこと。「被害におあいになられた方々」などの二重敬語。報道番組はライブで、後で修正や取り消しが効く活字とは違うため、アナウンサーやキャスターの言葉のセンスが如実に表れます。私も正しい日本語を留学生に教えるという立場を、今一度肝に銘じなければと、身が引き締まります。

選挙報道の際、合戦用語や競馬用語が多用されることにも、加藤氏は疑問を投げかけています。出馬ではなく、立候補ではないのか。出陣式や陣営・参謀などは選挙”戦”という言葉が前提になっている。先行・追い込み・競り合い・頭一つリードなど、品のいい言葉とは言い難い。。。

どんな立場の人でも納得できる言葉を、という、テレビに課せられた責任は重いですね。ら抜き言葉・れ足す言葉など、最近では間違っている方が利にかなっている、という考え方もあるようで、まさに「言葉は生き物」です。

源氏物語などの古典を原書で理解しようとするのは、学者と作家くらいでしょう。同じ日本語であるはずなのに、隔世の感があります。そしてこれからも日本語が変わっていくことは間違いありません。

「テレビの日本語」。特に日本語教育能力検定試験の受験を考えておられる方には、強く一読をオススメします。もちろんそれ以外の方にも、興味深くて読みやすい岩波新書です。