今更ですが日本で一番売れた本「五体不満足」。こちらは完全版です。

先日、電車で大阪に行ってきました。

この日のトピックスは、白杖をお持ちの方お二人と車椅子の方お一人を見かけた、ということ。

白杖の方はそれぞれ電車の中だったのですが、お二人ともそれぞれ駅員が付き添って乗り込み、降車駅ではまた別の駅員が出迎えて誘導されていきました。

私は通勤で電車を使っていますが、足の少し不自由な方が同じ電車を利用されていて、この方にも乗り込む際に足元の段差をなくす板を用意・撤去する駅員が介添えされています。

障害を持つと、わざわざ鉄道会社に申し込んで駅員を頼まなければ、電車に乗ることもできないのかと、私はなんだか世の(日本の?)不条理を感じてしまいます。

車椅子の方は、おそらく娘だと思われる方が、お父様(お義父様?)の車椅子を押して、エレベーターを探しては周囲に遠慮しながら乗り込む姿に、なんだか辛くなりました。

旅行で海外に行くと、障害のある方に普通に出会います。特別な SP が従いていることはなく、道行くフツーの人が、場面場面で手を差し伸べたり助けたり・・・

なぜ、日本では、そういう風にならないのか。不思議です。多忙。無関心。ハズカシイ。でも本当は、どんな風に介助すれば良いのか皆に知識がない、というのが恐らく大きな理由なのだと思います。

乙武洋匡さんの名著「五体不満足」。今更言うまでもないでしょうが、日本で一番売れた本(黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」という説もありますが)です。

このような素晴らしい本をもっと義務教育で取り入れて、簡単な「サポート方法」や「困っている人を見かけた時のマナー」を子供のうちに身につけさせる、ということはできないものなんでしょうか。

今から大人全てを啓蒙するというのは、マスコミを総動員すれば可能かもしれませんが、あまり現実的ではないでしょう。でも子供の時に「困っている人を見かけたら出来る範囲のお手伝いをする」という道徳観(あまり好きな言葉ではありませんが)が身についたら、もっと日本は《やさしい国》になるような気がします。

世の中のほとんどの人が、歩きながら、乗り物で移動しながら「スマホを見入っている」姿に、私はいつも情けないという感情になるのですが。

もちろん私だって必要な時は見ますが、基本的に電車の中では大好きな「読書」。知らない所へ行くときは、あらかじめパソコンで地図を調べ、必要に応じてプリントアウトしておく。出先で道に迷ったら、教えてくれそうな人を探して尋ねる。最低限しかスマホには頼らないようにしています。

もっと「ヒトとヒトがコミュニケーションする社会」にはならないんですかねえ。