[「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人]を読みました。

ソ連やロシアという国名に嫌悪感を抱いてしまう日本人って、けっこう多いのではないでしょうか。

折しも今、ウクライナへの侵攻をしている憎っき国。いや、あれはプーチンの個人プレイで国民には罪はない、とか、あるいは、武器を売りたい欧米の国々がプーチンをワナに嵌めた、とか。何が正しいのか、最近は考えるのがイヤになりつつあります。

そもそも日本人のロシア人へのイメージは、ハリウッド映画の影響によって強く印象付けられたような気がするのです。

大国アメリカは国をまとめるのに仮想敵国がないと収拾がつかないのでしょうか。社会主義は「悪」。正義は我ら民主主義にあり! みたいなプロパガンダが、亜米利加発の映画からはプンプン臭います。

911の後は、イスラムやアラブ系とかに敵役が変わったようでしたが、ここに来てウクライナを守ることとプーチン敵視へと、また妙なリバイバルが起こっています。

最近の新聞で、日本人の同性婚ペアがカナダに亡命したという記事を読んで、かなり驚きました。「日本人が亡命」というのがピンと来なかったのですが、大多数の日本人には良くないイメージを与える事実ということで、情報が詳らかになっていなかったということでしょう。実際は少数ながら、日本人が外国に亡命するケースはあるのですね。

考えてみれば、民主主義が絶対いいという一辺倒では、世の中はどんどん傾いていきます。日本にも共産党という歴史ある党が存在しますし、「社会主義の方が進んだ社会だ」という授業を私自身学生時代に受けました。

独裁者が現れるのは、大多数の国民が考えるのを放棄してしまうから。常に政治家の言っていること・やっていることが正しいか、国民にとって《善》かを注視していないと、権力者はどんどんそのパワーを自分に集め、誰も「猫の首に鈴がつけられない」状態になってしまうからです。

すみません。綴りたいことを捲し立てて、MOCT の内容から、大きく外れてしまいました。

ソ連で日本人向けにラジオ放送を続けていた、愛と勇気のある方々のノンフィクション・エピソード集。ビートルズ好きの私は、ドキュメントで肋骨レコードの映像をみたことがありますが、西側の音楽に憧れて、規制対象の音楽を隠れて聴くというのは、なんだか胸が締め付けられます。マリファナに手を出してしまう違法性とは違い、思想を規制し、好きな音楽さえ聴いちゃダメなんて。自由をどこまで許すかというのは、政治の中でも難しいテーマなのでしょう。

青島 顕さんが丹念に取材し、まとめた、鉄のカーテンの向こう側の様子。第21回開高健ノンフィクション賞受賞作。興味がつきない本でした。